6・7 「覇道」という名のコルセットを外して、ありのままに覚醒せよ 1位はまゆゆだ

大好きなさっしー

AKBの公演MCを変えた人。

高橋チームAでのおしゃくそMC。

SONEの「I'm happy so.」。

指原プライド。

・・・

気色の悪い告白で申し訳ない。

すべてが大好きだ。

 

でも・・・

ごめんさっしー

この前たまたま、去年のakb紅白での、生田さんとまゆゆとのコラボ「君の名は希望」を見ちゃったんだ。

それを見て思ったこと。

それは、「本物」のアイドルが「今」てっぺんに立つべき、ということなんだ。

「本物」とは、百聞は一見に如かずのステージパフォーマンスを通じたアイドル性、すなわち、「清純性」だ。

僕たちのみるきーは、テッペンラジオにて、「清純派なんておれへんねん」と、反清純派を高らかに宣言した。(私はこれを「和同開チン宣言」と呼んでいる。)

これは、近年の48G内部における風潮である、「清純」なるものへの否定を、如実に表している。

しかし、サンタさんと同じなんじゃないですか。

いると言えばいるし、いないと言えばいない。

それがアイドルの清純派だ。

私も、よしりん氏、中森明夫氏に倣おう。

まゆゆよ、王道アイドルの復権へ我が力を貸そ・・・、いやちょっと待った。

 

「王道アイドル」ってなんだよ。

そういえば、第3回AKB紅白MCで、さっしーは、堺さんに対して、まゆゆのことを「王道アイドル」と紹介していた。

対概念は、「覇道アイドル」。

「王道」は、あっちゃん、「覇道」は、優子、さっしーか。

ただ、あっちゃんは「清純」という文脈では語られてはいない。あっちゃんは、「反清純」ではない、という消極的な意味での「清純」の象徴だ。つまり、所与のものとしての「恋愛禁止条例」という戒律を遵守してきたという意味での「ストイック」の象徴だ。「清純」を厳格に規律した「恋愛禁止条例」をただひたすら「ストイック」に遵守し、体現しながら、日々試行錯誤をしていく中で、「女優」という夢を徐々に覚醒させていった。それを、「王道的覚醒」と呼ぼう。

それならば、まゆゆも、同じく、所与の「恋愛禁止条例」を遵守してきたという意味での「ストイック」の象徴の一人だ。そうなのだ。まゆゆを語るには、あっちゃんを語らなければならない。

とすれば、「覇道」とは、「清純」という「ストイック」なるものの否定であり、「清純」ではないことに対する「開き直り」だ。所与の戒律をストイックに順守する中で自由を追い求めるのではなく、自由をただひたすら追い求めていく中で自らを覚醒させていくこと。それを、「覇道的覚醒」と呼ぼう。さっしーは、ひたすら自由を求めて闘ってきた。さっしーにとって、AKBは、「権利のための闘争」の歴史であった。つまり、「さっしー雪の女王で、まゆゆはアナ」(中森明夫)なのだ。ANNにてやすすから博多行きを命じられた瞬間はよくわからなかったさっしー。しかし、やすすから博多行きの意味を説明され、去り際には既に笑顔になっているさっしーに対して、やすすが「おっ、明るいねぇ」といったことがすべてを表している。数分後ラジオブースから出た瞬間、さっしーの脳内で「Let it go」が流れたのだ。

では、まゆゆは、「覚醒」しているのか。

我々は知っている。2014リクエストアワーでの、ゆきりんとのMCが忘れられない。そこには、ありのままのまゆゆがいた。厳格な戒律を遵守する、単なる求道者の姿は、そこにはなかった。

その姿を見た瞬間、まゆゆが完全に覚醒したら恐ろしいことになるということが、わかった。遅くなってごめん。

ここ数年は「覇道」の天下。しかし、まゆゆには、辛酸をなめていたというような悲壮感は一切ない。これが素晴らしいのだ。

僕たちは、ここ数年、がっちりと「覇道」という名のコルセットをはめられてしまった。

「清純」・「ストイック」という軸がぶれることによって生じた痛みを和らげるために、無意識に「覇道」というコルセットで固定してきた。

そう、君の名は「覇道」。

でも、そろそろ、「覇道」というコルセットを脱ぎ捨てないといけない。

 

「王道アイドル」の復権。「王道」が希望になる日。

決して軸がぶれることのない、圧倒的な量と質を誇る「清純性」。

それに、まゆゆの覚醒が加われば、どうなることか。

おしゃべりが過ぎたようだ。

さぁ、王道へ戻そうか。