誣告の伝兵衛。≪小説・新連載vol.19≫
おらだ。
あの野郎、今日も来てやがる。
よし。
今日も、あの野郎を脅かしてやっぞ。
まずは、これだ。
いつものように、自習室のドアを思いっきり開けてやるぞ。
すごい音がするんだ。
どや。
これで、ビックリするだろう。
あの野郎、どうだ、この野郎。
いやぁ~。
これで、あの野郎がビックリしやがる顔を拝めるぞ。
ひぃ~~。
後の警察での取り調べにおいて、伝兵衛はこの時エクスタシーを感じていたと、供述録取書の中で述べている。
あの野郎は、伝兵衛の鬼畜の所業をすべて見抜いていた。
伝兵衛は、小さなイチモツから少量のかぎりなく透明に近い黄色の液体を出し終わった後、トイレの洗面台の蛇口を鬼のような形相で睨みつつ、手も洗わずに化粧室から出て、自習室のドアの前に来た。
あの野郎は、間髪入れずに席を立ちあがり、伝兵衛が自習室のドアを開けた瞬間、その間を通って廊下に出る。
すると、伝兵衛は、粉くそと思い、短い脚で地団太を踏む。
なんだ、あの野郎。
おらのドア開け脅しに気づいてやがったのか。
まさか。
いや、あの野郎ならあり得るぞ。
あの野郎は、おらがこの70年で一度も出会ったことのない奴だ。
くぅ~~。くそぉ~い。
あの野郎。
愚かな伝兵衛。
70過ぎて、いまだ童貞。
毎日1日も休まず、図書館に通う。
本当に元気な伝兵衛。
供述録取書には、童貞だからおらは元気なんだ、との記述がある。
黒澤明のどん底で描かれたようなチンドン長屋で生まれ育った、伝兵衛。
水商売をしていた母親は、夜中に帰宅すると決まって、男からの土産物を喰わせるために、寝ていた伝兵衛の顔にタバコを吹きかけ起こしていた。
幼少の頃は母親のヤニの臭いで叩き起こされるのが日課であった、伝兵衛。
あれから、60うん年。
まだ寒い、この3月に。
馬鹿なチェックの、薄っぺらいシャツを1枚羽織り、この1年間決して洗わなかった無メーカーのジャージのズボンを履いて、図書館のなかを闊歩する。
下がジャージで、上がシャツという、これでもかというぐらいの厚顔無恥スタイル、いやもとい、童貞ゆえの睾丸無痴スタイル。
お漏らしでもしたのかい?
そんな気持ちにさせてくれる、伝兵衛のファッションスタイル。
睾丸無痴スタイルの最たるものが、下がネイビーのジャージで、上がネイビーのテーラードジャケット。
何でも、あの野郎がテーラードジャケットを着てくることに実は憧れがあり、強引に合わせてきた、とのこと。
憎しみを抱く相手ではあっても、ファッションには憧れを抱く、伝兵衛。
毎朝、図書館に行くために着替えている時に抱く、そんな心の葛藤に、陰鬱な気持になる。
そんな心のもやもやが、伝兵衛の人格的価値をより一層貶めてしまう。
利用者には、公共の施設のなかで、空威張りをする伝兵衛。
どうてい、ここまで生きてきたんだから。
おとなしくしてないと、だめですよ。
でんべい。